(日本商工会議所の月刊誌「石垣」98年8月号より)
 
飯塚市本町商店街
自分たちの財産を再確認し地域文化の発展に貢献


 飯塚市本町商店街は、江戸時代には長崎街道の宿場町として、また明治時代以降は、日本の近代化の原動力となった産炭地として栄えた筑豊の中心都市・飯塚市にある。1976(昭和51年)には、日本で初めてドーム型アーケードを採用し、積極的な商店街活動を展開している。現在、「わざわざショップ」「わざわざ商店街」を目指し、新たな商店街活性化に意欲を燃やす、飯塚市本町商店街振興組合の駒山豊理事長に話を聞いた。

 「我々は、古代より歴史上、常に先覚者によって時代をリードしてきた。その証のなかに住むことを誇りに思い、伝承された文化を新たなる飛翔への糧として後世へ継承していくことを誓います」。
 これは91年5月、大型店の出店による厳しい環境の襲来に立ち向かっていくために、飯塚市本町商店街が行った「飛翔宣言」である。
 
▼産学官戦略ネットワークを構築
 「飛翔宣言は、『守るのではなく攻撃だ』という我々の意思を表したものです。大型店に打ち勝っていくために、組合員が一体となって取り組んでいくことをひとつの形に表したものなのです」と駒山理事長は当時を振り返る。同商店街では76年、イタリアのミラノ市エマニエル二世街を参考にしていちはやくドーム型アーケードを建設する等、それまでにも積極的な活動を展開してきた。飛翔宣言は、まさに同商店街の第2次活性化事業につながったといってよい。
 この飛翔宣言を基に、地元にある近畿大学九州工学部に研究委託するとともに、行政、商工会議所等を引き込み産学官戦略ネットワークを構築させ、筆記用具なし、ノーネクタイ、ビール片手に商店街活性化について話し合う「夜なべ談義」を通じ、各自の意見をぶつけ合った。
 「夜なべ談義は、組合員にとって大きな刺激になりました。産学官の連携といっても,あくまでも主役は我々組合員です。商店街活性化のためには、組合員のやる気とやりたいことをすることが一番大切なのです。そのことを理解していただき、各方面の方々に協力していただけたということは、我々にとって大きなプラスになりました」と駒山理事長。
 夜なべ談義は、組合員の意識向上、消費者ニーズの再確認につながり、93年には、「からくり時計」「コミュニティホール」「公衆トイレ」「駐車場」「プリズマビジョン」の5つのハード事業を完成させた。
 
▼地域文化活動に貢献
 この商店街の特質は何といっても商店街発のイベントが多いことだ。毎年11月に開催する「長崎街道宿場まつり」をはじめ、多くのイベントを主催している。「商店街は自然発生的に起きたもの。そこには素晴らしい文化があるのです。それを掘り起こし、育てていくことによって、集まってきた人たちに対し、モノ、心の豊かさを提供していくということが商店街の役目なのです」と駒山理事長。
 「かつてこの場所は、長崎街道の宿場町として栄えました。日本のシルクロードとまでいわれた地を、時代の流れとともに埋没させるのではなく、ここは私たちの財産なんだということを、市民に伝承していかなくてはならないのです」というように、商店街からはじまった宿場まつりも、いまでは市内の一大イベントとして親しまれている。メインの「おいらん道中」は、市内の若い女性たちのあこがれになっているそうだ。
 
▼「わざわざショップ」「わざわざ商店街」の実現に向け
 「ここ数年の商店街の売り上げ、人通りの減少は、『わざわざショップ』がないということが大きな原因になっています。街にきて、欲しいものがそろうお店を育成していかなくてはならないのです」と駒山理事長は課題をあげる。これまでの攻撃的な対応策があったからこそ、同商店街の衰退は最小限におさえられているわけだが、現在、次なる活性化へ向け、商店街の若者を中心に「わざわざショップ」づくりが進められている。
 「地域のための、地域に生きる商店街」ということをキャッチフレーズに掲げている駒山理事長がこう語ってくれた。
 「商店街は、ひとつの哲学を持つことが大切です。建物は老朽化していくものですが、哲学さえ持っていれば、ただモノを売るだけでなく、文化も歴史も売っていけるような価値のある商店街になっていけるのです。そして私の夢は、この商店街を『わざわざショップ』から、ここに来たらドキドキして新たな発見ができるような『わざわざ商店街』にしていくことなのです」と。
 
 からくり時計を子供たちが楽しそうに眺めている。地域ごとにそれぞれの味があり、そこに住む人たちが街の文化を築いていく。そしてその文化をつくり、文化を感じていけるのが商店街なのだ。本町商店街の新たな挑戦に期待して止まない。
  
 



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